· 西国三十三所霊場のひとつで古くから観音信仰で名高い、滋賀県大津市にある石山寺は寛弘元年(1004年)、紫式部(むらさきしきぶ)が堂内に籠もり『源氏物語』須磨・明石の巻を綴った場所と伝えられます。境内の高台には源氏苑が整備され、紫式部の像も立てられています。
石山寺 紫式部 源氏の間 紫式部は、石山寺参篭中に中秋の名月(八月十五夜)が琵琶湖に美しく映るのを見て、『源氏物語』の構想を得て「須磨」の帖から書き始めたと言い伝えられています。
大本山石山寺(滋賀県大津市)は奈良時代創建の安産・福徳・厄除・縁結に霊験あらたかな観音霊場として信仰を集めるお寺。西国三十三所第13番札所、紫式部が源氏物語を起筆した寺、また花の寺としても知られています。hpでは観光情報も案内しております。
· 本堂相の間の東端にある二間続きの部屋は、紫式部が参籠して『源氏物語』を書き始めた所と伝えられ、「源氏の間」とされています。 紫式部は1004年、新しい物語を作るために石山寺に7日間参籠し、石山寺から琵琶湖の湖面に映える十五夜の月を見て ...
紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされている。 伝承では、 寛弘 元年(1004年)、紫式部が当寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、石山寺本堂には「紫式部の間」が造られている。
本堂・源氏の間. 左手の階段を登ると、滋賀県でもっとも古い建物・石山寺本堂です。 もともと奈良時代の造営で、現在の本堂は永長元年(1096)に再建されたものです。 本堂内の「源氏の間」は紫式部が『源氏物語』を書いたと伝えられます。
本堂の一角にある源氏の間。 「石山寺縁起」「河海抄」によれば、寛弘元年(1004年)、賀茂斎院選子内親王の求めに応じて主人である一条天皇中宮藤原彰子から新しい物語を作るように命じられた紫式部は、石山寺に参籠。
石山寺源氏間紫式部影讃 ishiyamadera genji kan murasaki shikibu eisan このタイトルで早稲田大学蔵書目録を検索(OPAC title search)
ものがたりを書くよう命ぜられた紫式部が石山寺に参詣し琵琶湖に映る仲秋の名月を見て霊感を受け「須磨」の巻から源氏物語を書き始めたという伝承の「源氏の間」やら紫式部の銅像やらを見ました。
それから此の部屋を「紫式部源氏の間」と申すようになった。 <三十八所権現社本殿> 本殿は、一間社、流造で、屋根は桧皮葺である。石山寺は桃山時代に大規模な伽藍整備がなされ、本殿の建立は本堂の礼堂と同じく慶長7年(1602)になる。
Truth has only to change hands a few times to become fiction.
‹ | › | |||||
Mo | Tu | We | Th | Fr | St | Su |