1 底本の宮内庁書陵部蔵「黒川本紫日記」は後世の写本であるため、それよりも遡る逸文資料の国宝『紫式部日記絵詞』(鎌倉期)及び伝三条実重筆『日記切』(室町期)が存在する箇所では、原則として、その本文を尊重し校訂した。
『紫式部日記』(むらさきしきぶにっき)は、紫式部によって記された日記とされる。藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部が、1008年(寛弘5年)秋から1010年(寛弘7年)正月まで、宮中の様子を中心に書いた日記と手紙からなる。
紫式部日記 First updated 05/01/2004 Last updated 12/01/2008(ver.2-3) 渋谷栄一訳(C) 紫式部日記(黒川本) 第一部 敦成親王誕生記
紫式部日記絵詞 つく》 モチーフの塊が、建築モチーフの軽さに対して重量をもって描かれ さらに、夜の帷のなか、銀色に塗られた地面と人物達が着る下着 表現している。れるところからパチパチという音や熱も感じられて、人々の熱気もの赤い色や狩衣の藍の対比が場面の華やかさを物語る。
· 紫式部日記が道長の要請で書き始めた日記であることを考えると、紫式部日記の主題は彰子の出産記録です。 実際に、紙幅も多く割かれています。 なんですが、途中から紫式部周辺の様々な案件に対する個人的な評論ような内容にシフトしていきます。
· 「紫式部日記絵巻」ってどんなもの? 『紫式部日記』が書かれてから約200年後の鎌倉時代初期に、本書をもとにした「紫式部日記絵巻」が作成されました。 人物評を除くほぼ全文を適宜分割して絵画化し、説明文である詞書が添えられています。
紫式部日記「女郎花」 このテキストでは、紫式部日記「女郎花」(渡殿の戸口の局に見出だせば〜)の現代語訳・口語訳とその解説を行っています。 「女郎花」は秋の七草のひとつで「おみなえし」と読みます。 原文・本文 (※1)渡殿の戸口の(※2)局に見出
解説・品詞分解はこちら紫式部日記『和泉式部と清少納言』解説・品詞分解(1) 和泉式部 (いずみしきぶ) といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。 和泉式部という人は、趣深く手紙をやり取りした(人です)。 されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。
「和泉式部日記」岩波文庫 昭和32年第8刷改版 「枕草子」日本古典集成: 前田侯爵家蔵 傳津守國冬・慈寛 各筆本復元の試み 「竹取物語」新編日本古典文学全集 「伊勢物語」新編日本古典文学全集 「紫式部日記」新日本古典文学大系
★『紫式部日記』(1010年頃成立) 作者・紫式部 ジャンル・日記 秋のけはひ入り立つままに、土御門殿(ツチミカドデン)のありさま、いはむかたなくをかし。 ★『更級日記』(1059年頃成立) 作者・菅原孝標女 ジャンル・日記
In the good old days, Uncle Sam lived within his income...and without most of ours.
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