清少納言批判 : 紫式部日記と源氏物語との隔たり 瀬戸 宏太 常葉大学短期大学部紀要 = Bulletin of Tokoha University Junior College (50), 1-12, 2019
· 紫式部にとっての清少納言は「自分の仕える家のライバル家」の「かつての花形スター」という位置にあったわけです。 紫式部の清少納言批判の動機はそんな「家 vs 家」「旧時代 vs 新時代」という所にあったのかもしれませんが、実はこんな事実もあり ...
清少納言は芸能界に憧れて憧れて念願かなって足を踏み込んだ人。 紫式部は周囲の思惑から入りたくもない芸能界に入ってしまった人。 相容れない二人であり、紫式部は清少納言にもの申さずにはいられなかった、という考え方があります。
· 「枕草子」を書いた清少納言と、「源氏物語」を書いた紫式部は、お互い仲が悪かったという話をどこかで聞いたことがあるような気がするのですが、それは本当でしょうか。調べてみました。清少納言と紫式部 の仕えた相手清少納言と紫式部。
もっとも、『枕草子』には紫式部の夫・藤原宣孝が亡くなった後、今更言うことでもない稚拙な批判(派手な衣装で御嵩詣を行った逸話や従兄弟・藤原信経を清少納言がやり込めた話)が記されており、こうした記述は紫式部の才能を脅威に感じて記したもの ...
平安時代の女流文学者の紫式部と清少納言。2人は平安時代のほぼ同時期に生き、一条天皇のお后に仕える女房でした。紫式部と清少納言はどういう関係だったのか、共通点や違い、2人のエピソードについて …
· しかし、紫式部は日記で清少納言の批判をしているのに対して、毒舌っぽい清少納言は一切紫式部について書き残していないので、一方的に紫式部が清少納言を知っていただけ、という状態が可能性として高そうです(本人に会ったことがないけど著書「枕 ...
清少納言は直接紫式部を批判した訳でもないし、むしろ執筆時は彼女の存在自体知らなかった。 一説には宮仕えの時期もすれ違っていて、顔も知らなかったんじゃないかと言われている。 ...
清少納言のWikipediaについて。 経歴の最後の方に『枕草子』に紫式部についての稚拙な批判が書かれており、紫式部に脅威を感じたからなのでは?とありますが、検索してもWikipedia以外にまったくそんな話は出てきません。私が気づいていないだけで、このような解釈は一般的なのでしょうか ...
· 今回は、平安時代中期の2大女流作家として有名な 紫式部清少納言(せいしょうなごん)の2人のお話。知っている人がほとんどかと思いますが、一応説明しておくと・・・ 紫式部はロマンチック不倫物語「源氏物語」の著者清少納言は、どこか切なさ残るほのぼ
Forget the troubles that passed away, but remember the blessings that come each day.
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