紀貫之が詠んだ、 奈良 長谷寺の梅. 梅は天平時代に唐から伝わったとされ、清楚で気品のある白梅は貴族に好まれました。貴族や歌人たちは観梅の宴を開いてはその香りに酔いしれ、花を身の飾りに取り入れ愛でていたそうです。
· 紀貫之が「花ぞ昔の香」と詠んだ平安初期は「花といえば桜」の時代へと様変わりしていました。(僕は当初、この事実[常識]を知らずこの歌は「花といえば梅」の時代のものとして解説していました。誤った情報を流布してしまい申し訳ありませんでした。
誰もが知っている大物歌人紀貫之の登場です。話に花を咲かせましょう。 ... 貫之と梅の花、拝見しました。 ... 納得です。嵯峨帝の系統とはいえ傍流だった光孝-宇多-醍醐が(結果的とはいえ)唐風化→国風化へのかじ取りをやったことになるわけです ...
· 某予備校のCMでも紹介されていましたが、百人一首の中にある紀貫之の歌について、歌の中に出てくる『花』という言葉。和歌では『花』と言ったらほぼ『桜』のことを指すのですが、この和歌では『梅』を指しています。では、なぜ『梅』になるのか、解説してい
デジタル大辞泉 - 鶯宿梅の用語解説 - 1 村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之(きのつらゆき)の娘紀内侍(きのないし)の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅(ちょく)なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じ...
q 大鏡の話で どうして村上天皇は、木の持ち主が紀貫之の娘だとわかって恥ずかしいのですか?A 鶯宿梅ですね 帝が「あまえ」・恥ずかしがったのは、自分の命令が梅…
この歌は、 紀友則 (紀貫之のいとこ)によって詠まれたものです。. 「木梅(きごと)」と書いて、梅の木と結び付けたおもしろいう発想をしています。. 庭の木のほとんどに雪が積もっていて、どれがどの木だかわかならい。. ましてや梅の花は白いので、雪の白さで、どの木が梅の木なのかがわからない、という冬の一コマを詠んだものです。.
友則・貫之歌くらべ 紀友則(きのとものり)と紀貫之(きのつらゆき 三十五)は ともに三十六歌仙に選ばれた従兄弟(いとこ)同士。 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ (三十三 紀友則) 日の光のどかな春 […]
貫之の歌と作成時期の前後はわからないが、 「梅の花」に対する 「桜花」であるところも面白い。 この歌で使われている 「くらぶ山」と 「闇」という言葉を含む歌を一覧してみると次のようになる。どちらも意外と使われている数は少ない。
仁和帝 0022 春日野の 若菜つみにや 白妙の 袖ふりはへて 人のゆくらむ ... 紀友則 0039 梅の花 匂ふ春べは くらぶ山 闇に越ゆれど しるくぞありける ... 紀貫之 0046 梅が香を 袖にうつして とどめては 春はすぐとも 形見ならまし ...
Pick your friends, but not to pieces.
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